桃太郎・海の神兵
- アイテムセット
- 作品目録 1917〜1977
- 作品タイトル
- 桃太郎・海の神兵
- 製作
- 松竹動画研究所
- 作者・スタッフ
- 後援:海軍省
- 指導:大本営海軍報道部
- 脚本・撮影・演出:瀬尾光世
- 影絵:政岡憲三
- 動画:桑田良太郎、高木一郎、小幡俊治、木村一郎
- 美術構成・背景:黒崎義介、田中武重
- 録音: 東亜発声
- 音楽
- 音楽:古関裕而
- 作詞:サトウ・ハチロー
- 演奏:コロムビア・オーケストラ
- 巻数
- 6
- 公開年月日
- 1945年4月12日
- 封切
- 白系
- フォーマット
- 35mm
- 色
- 白黒
- 解説
- 芸術映画社を退社した瀬尾光世は恩師のいる松竹動画研究所に入社。まもなく海軍省から長編動画製作の委託を受けた。昭和17年2月14日、日本陸軍のスマトラ進攻に先立ちパレンバンに329名の空の神兵、空挺部隊が落下傘降下。 飛行場、製油所などを占拠する大手勲を立てた。空挺部隊の活躍や時局ニュースを国民にPRするため動画で製作することになった。松竹では製作スタッフ50名という日本動画史上最高の人数で製作開始。予算も劇映画なみで総製作費27万円という超大作となった。製作期間1年を費し20年3月完成。この時スタッフは半数の25名に減っていた。男子は軍隊へ。女性は軍需工場へ徴用にかり出されたのだ。松竹動画はこの作品を最後に物資不足で閉鎖し、5月の空襲でスタジオ、機械は全焼した。この映画のプリントは終戦直後、松竹の社長命令で他の戦争映画フィルムと共に焼却され幻の映画となった。16ミリで何本か作られたそうだが、 どこかの映画倉庫に眠っているかもしれない。巻数は6巻説と9巻説があるが「松竹七十年史」では6巻となっているので6巻説を採った。9巻の長さは製作期間1年ではちょっと時間不足に思えるのだが。映画の内容も当時の映画雑誌の記録もないので、キネマ旬報に連載中の秋山邦晴「日本映画音楽史を形作る人々・アニメーション映画の系譜6」(51年4月下旬号)の瀬尾光世との対談を参考に構成してみよう。瀬尾は9巻の長編で初めの3巻は国内篇、あとの6巻は国外篇といっている。国内篇は桃太郎を隊長とする落下傘部隊の訓練風景。部下は勿論、猿、犬、雉の常連である。休暇で故郷に帰るエピソードが、童画家の黒崎義介描く日本画的なタッチで「兎追いしあの 山」のムードで成功したそうだ。4巻目から桃太郎ひきいる落下傘部隊が南方の島に進駐し、敵陣進攻の前進基地とする。島の現住民のいろんな動物達が桃太郎のところに集まって来るが言葉が通じない。そこで黒板にアイウエオを書いて文学を教えるが現住民はよく理解出来ない。桃太郎の発案で犬、猿、雉三人組に「アイウエオの歌」を歌わせる。作曲の古関裕而は動画は初体験ながら全力投球し、この場面でも楽器のソロから始まり、カット毎に楽器がふえ、ラストはフルメンバーの合唱。島全体が「アイウエオの歌」のコーラスで包まれる。古関は演奏には40名の楽器編成を希望したが、スタジオが狭く、結局30名のコロム ビア・オーケストラで演奏。録音も従来、松竹では土橋式の独自なものを使用していたが、当時、日本で唯一の性能の良いウエスタン・エレクトリック・システムを持つ東亜発声に依頼した。動画音楽の分野で音の再現性を重視したのはこの作品が最初ではなかろうか。落下傘部隊の降下命令が下り敵の鬼軍を撃滅させるのはお決まりだが、南方シーンの背景は現、国画会会員の田中武重が担当したそうだ。当時、日本の落下傘部隊の武勲はまさに神話的な伝説となって"藍より蒼き大空に 大空に......"(「空の神兵」梅木三郎作詞)のメロディは戦前、戦中派のナツメロに必ず登場するほどである。単に落下傘部隊の活躍を描くだけでなく、現地での宣撫活動も動画にした海軍省の意図は成功したようである。アメリカでもディズニーが作った「空軍力の勝利」(1943)という戦中の空軍PRの長編動画があった。当時の作品評が全くないので、この作品を見て動画製作を志した手塚治虫に再び登場してもらおう。17年9月、中国の萬兄弟製作の長編動画「鉄扇公主」(邦題「西遊記」)が公開されたが、手塚はこの作品評に続いて次のように記している。「この"鉄扇公主"にしげきされたか、松竹ではふたたび長編マンガ映画にとりかかり、さいごの傑作『桃太郎・海の神兵』をつくりました。ちょうど封切が終戦直前の空襲のさいちゅうでもあり、ほとんど話題にものぼらずにどこへやらの有様でしたが、私はおそらく日本のマンガ映画の総決算ともいうべきものではないかと思います。サイレンのなりひびく焼けただれた町の中の映画館でこれをみた私は、日本のマンガもここまできたかと思って、思わずポロポロ泣きました。このフィルムには、それまでの長編とちがった冒険が、かず多くもりこまれていましたし、なによりも筋全体をとおしての抒情性がたまらなかったのです。はじめの田舎の田んぼ道の風景。谷川のせせらぎの美しさ。基地建設に働く動物たちのおかしみとピッタリ音楽にあった動き、三匹の猿のコーラス、とちゅう劇中劇としてはさみこまれたカゲエの美しさ、そしてさいごには鬼が島の将軍と会見する画面で、鬼に英語をしゃべらせてスーパーインポーズまでつけたこり方。このスタッフをあげますと、総指揮・瀬尾太郎(光世)、音楽・古関裕而、動画監督・政岡憲三、アニメーター・桑田良太郎、高木一郎、小幡しゅんじ、木村一郎といったメンバーです。」(34年8月、鈴木出版刊「フィルムは生きている」後書"マンガ映画メイド・イン・ジ ャパン"より)
- リストID
- NAE0434
- 掲載ページ
- 232